ホリえもん

渦中の彼ですが、なるべく時流に流されないようにして思うところを。
好き嫌いや、違法適法といった軸を覗いて、メディア観的なものをまずは中心に、と。
モトネタは3月4日の毎日新聞から。

堀江社長一問一答」


ー新聞は情報に責任を持ち、読者からの信頼を得る。信頼感が重要だと思うが。


堀)今のジャーナリズムに問題点があると思っているのはそこなのです。
    (中略)
双方向のコミュニケーションができている。メディアのあり方も変わっていかないといけない。
途中でスクリーニングをかけたり、バイアスをかけたりすることは必要なのか。
それは読者が判断することではないか。今は判断できる時代だと思う。
記事をランキングシステムにして、アクセスが多い記事が見出しが大きくなるとか。
インターネットはいくらでも記事を出せるのだから。いくらでも深く読めばいい。
そこから、いろんなところにつながっていく。記者の判断だけで1面トップに載せるのが本当にいいのか。
価値判断はユーザーがすべきだと思う。


ーインターネットと、放送法で規制される法曹はうまく合うのか


堀)インターネットに参加しているのは個人。個人がたくさんいる場所は公共。
インターネットは公共性がないんですか?


ー堀江さんがメディアを持つ時は、コントロールしないのか


堀)僕はコントロールしたくない。純粋な媒介者であるべきだと思うんですけど。
ありのままの事実をそのまま伝えるのがいいんじゃないでしょうか。
これからのメディアは本来の位置に立ち返るべきじゃないか。


とまあ、ごく一部といえばそれだけですし、またつっこみどころも多い訳ですが。
紅的には、堀江社長のこの態度、世間で叩かれてるほどに滑稽なものだとは思っていません。
少なくとも、彼や彼の会社の些細な事項を大袈裟に取り上げる"メディア"よりは。


さて、堀江社長はここで、インターネットを活用したメディアの指向するものを、
価値判断をユーザに委ねる限りなく透明なものと考えていると思われます。


バイアスのかからない情報伝達がどこまで可能かは疑問の残るところですが、
そこに目をつぶったとして、情報の受領側がその重要度を決めていく、という
受け手と送り手の動的なコミュニケーションの場としてメディアを観念する考え方は、
インターネット事業を手がける社の長の発言として耳を傾ける価値のあるものだと思いますし、
現実のインターネットをのぞいてみているものの実感から、そう乖離したものではないとの印象をもちます。


2ちゃんねるなどを持ち出すまでもなく、大量の"個人"がうずまく場、
言い換えれば情報の受け手のみが氾濫するような場においても、
コンセンサスとは呼べないまでも一定の考え方の流れは形成されるものです。


皆が好き勝手な発言をしているようでも、その皆が互いの発言に影響を受け与え合うことで、
おおまかな見解(対立する複数のものでも)が形成されることは珍しくないし、
またPCに向かう個人の意識の中にも、当初とは違った他者的な視点を通した考えが形成されることもあると思います。


実現可能性や、その政治的しがらみ、また経済性などを捨象したとして、
堀江社長の(荒削りではありますが)このようなビジョンは、
今世紀のメディアを考える上で少なからぬ意味をもつものと紅なんかは期待しちゃいます。


願わくば、ホリえもんが少しはものを考えて喋っている人でありますように、と。