恋愛と結婚の2項対立を脱構築。

みたいな。


深い意味はないんですけど、今号の日経WOMANを読んでいたら
「あなたは恋愛がしたいの?結婚がしたいの?」
みたいなのが出てきまして。


結婚そのものが手段ではなく目的として恋愛と同列に語られることに
激しい違和感を感じたりしました。


家族社会学とか語りたがりな年頃の感じのみっち〜です。
こんばんわ。


家族ネタでもうひとつ。
というかこちらが本題ですが。


母親による孫の代理出産で騒いでますね。
肯定派の主張は「産みたいんだから産ませればいいじゃん」
否定派の主張は「生命倫理の問題があり遺憾」
というところかしら。


少子化で騒いでるのに、出産を認めないのが当然みたいな考え方をするとは何事か」と
お怒りのみなさんの言い分に、基本的には賛成です。
法が禁じていないことを個人が自由になしうるのは至極自然ですね。



ただ、これを法制度上の問題として考えたとき、
「親子とはどのような関係か」という
親族法の根幹に関わる問題が浮かび上がってくるように思われます。


従来の議論の枠組みにおいては「父親が誰か」ということは問題になっても
「母親が誰か」というアスペクトが問題になることは稀だったのではないでしょうか。
現に民法は、父親による認知を規定しても母親によるそれは規定していませんよね。


これが「産みの親が実の親」という社会通念を根拠とし、
またそれが争われる場面が想定されなかったことは想像に難くないとしても、
民法は養子制度によって、私人の意思表示による親子関係の形成を積極的に認めている訳です。


養子制度が、家を存続させるための技術としての側面をその沿革にもつとしても
個人の自由意志による家族関係が制度として認められていることに違いはありません。


結局は医療技術上の問題となるのでしょうが、
これはもう少しメタに捉える必要がありそうです。
すなわち、科学技術は倫理による制約を受けるか?という問題ですね。


かなり話が長くなりましたので、続きはまたの機会(あるの?)にでも…。